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鴻臚館・福岡城コース – f-kentei
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「福岡検定」
関連マップ

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鴻臚館・福岡城コース

鴻臚館の時代と福岡藩の時代は「福岡検定」頻出テーマ!
発掘当時のまま残された遺構や出土品、
復元建物などを見ることができる
鴻臚館跡展示館や、
石垣や縄張りがほぼ当時のままの姿を
とどめている福岡城を散策して、
歴史の深さを感じながら学んでみませんか?

足跡
    • 検定頻出度

      福岡城むかし探訪館

    黒田如水(官兵衛)・長政親子が築いた「福岡城」の歴史と魅力を紹介する施設です。
    バーチャルムービー「福岡城時空散歩」では、昔の福岡城をCGで再現!迫力あるリアルな映像は圧巻で、風格ある福岡城の勇壮な姿を映し出します。映像の中には、いまだ存在が謎に包まれている福岡城の天守閣が登場。今と昔を交差しながら、お城を散策できます。

徒歩1

    • 検定頻出度

      鴻臚館跡展示館

    「鴻臚館」は、飛鳥・奈良・平安時代の外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられたとされます。その中で唯一、遺跡が確認されているのが現福岡市中央区にあるこの「鴻臚館」です。7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされています。展示館では遺構や大陸外交の歴史、交易品などを見ることができ、当時の様子に思いを馳せることができます。

徒歩4

    • 検定頻出度

      福岡城 本丸表御門跡

    北側から本丸に入る門です。大正7(1918)年に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、現在も同寺の山門として使用されています。

徒歩2

    • 検定頻出度

      福岡城 天守台

    天守台とは、天守閣をのせるための基礎となる石垣のことです。福岡城には大・中・小と3つの天守台がありますが、正保3(1646)年に描かれた福岡城の絵図「福博惣絵図」には天守閣は描かれていません。黒田如水(官兵衛)・長政親子は幕府に遠慮して天守閣を建てなかったともいわれています。

徒歩4

    • 検定頻出度

      福岡城 南丸多聞櫓

    南丸(二の丸南郭)にある国指定重要文化財の多聞櫓は、江戸時代から現在位置を保っている唯一の櫓です。二層の隅櫓とそれに連なる54mの長さをもつ平櫓からなります。
    高く積み上げられた石垣を土台に築かれ、いざという時のための「石落」や「鉄砲狭間」が備えられています。

徒歩8

    • 検定頻出度

      福岡城 名島門

    かつて、名島城の脇門でしたが、初代藩主黒田長政が福岡城に居城を移すときに黒田二十四騎のひとり林掃部に与え、掃部は邸宅の門として使用したと伝えられています。市内では数少ない武家屋敷の門です。

徒歩1

    • 検定頻出度

      旧母里太兵衛邸長屋門

    黒田二十四騎のひとりで、福島正則から名槍「日本号」を飲み取ったという「酒は飲め飲め…。」の筑前今様で知られる豪傑母里太兵衛の邸宅に構えられたもので、武家屋敷長屋門として代表的な江戸時代の建造物です。
    天神二丁目の野村證券福岡支店の地は、母里太兵衛の当時の屋敷跡で、この長屋門はそこにありましたが、昭和27年にビルの建築のため取り除かれ、昭和40年に現在地に復元されたものです。

徒歩1

    • 検定頻出度

      福岡城 下之橋御門

    城の北西にあり、北東の上之橋御門とともに、城内に入るための門として使用されました。
    平成12年に不審火で半焼しましたが、平成20年に復元されました。焼失前は一層でしたが、現在の二層の姿が本来のものと考えられています。
    門には明治6(1873)年に起きた筑前竹槍一揆による傷跡が残っています。

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